インドで講義を受けていたときに、こういう講話がありました。
「もしあなたが大変な困難や苦しみ、喪失にあったとしたら、あなたには感謝しかないはずです」

それを聞いた僕は、
「いったい何を訳のわからないことを言っているのだろう?」
と思いました。
そこで講師が話された内容はこのようなものでした。

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ある母親がいました。
彼女はまた医師でもありました。
彼女の子供が突然病気になり、高熱を出しました。
子供を治すにはとても痛い注射をし、苦い薬を飲ませなければなりません。
注射を打たれ、苦い薬を飲まされた子供は泣き叫びます。
母親は代わってやれるなら代わってやりたいと思います。
でも子供を病気から救って楽にしてあげるにはそうするしかないのです。
なるべく軽い痛みで済むように、そして早く病気が治るように祈りながら、母親は注射をし、苦い薬を飲ませます。

神さまも同じです。
あなたが間違ったことを考えているとき、よくない方向に行こうとしているとき、真我から遠ざかっているとき、いまだに間違った場所で幸福を追い求めているとき、そのようなあなたに痛みを与えないと、あなたは過ちに気がつきません。
気づきがないと、あなたには成長がありません。
神さまがあなたをもっと先に連れて行くことができません。

神さまがあなたの痛みや苦しみに気がつかないと思いますか?
あなたが苦しんでいるとき、痛みに耐えているとき、神さまはずっとあなたと一緒に苦しんでいます。
なぜなら、神さまが見ているのはあなただけだからです。
あなたの神さまには、あなた以外に、何もないのです。

もしそのことに気がついたならば、神さまが痛みを与えてくださったことに感謝できるのではないでしょうか。
そしてあなたの人生に起きているすべてのことに感謝する以外なくなるのではないでしょうか。
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なるほどー、と理解はしましたが、そのときはただそれだけでした。

そして帰国し、数年間がたったとき、僕はある事件で全財産を失いました。
後悔、痛み、恨み、絶望、悲しみ、苦しみ、そういったものが一気に押し寄せてきて胸が張り裂けそうになって、その場にへたり込みそうになりました。

そのときなぜか突然、僕はこの講話を思い出したのです。
その瞬間、まったく理屈に合わないのに、これまで感じたことのない感謝の気持ちが深いところから湧いてきたのです。
こんな悲惨な目にあった僕が何かに感謝をしているなんて・・・それはとても不思議なことでした。

そして今はもっとはっきりと、
「あのときすべての財産を失って、本当によかった」
と思います。
なぜならそのことがきっかけで、僕がすがってきた「お金」という呪縛から解き放たれ、ほんとうの幸福に目覚める最初の一歩が始まったからです。

人はよく
「感謝をしなさい」
と言います。
でも感謝とは、そのように心がけてするようなものでしょうか?
努力してするようなものでしょうか?

これは僕からのひとつの提案です。
これから一生、誰にも、何にも、絶対に感謝をしないと決めてください。
もしそれでも湧き上がってきて抑えきれない感謝があったとしたら、それだけが本当の「感謝」です。

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